COMMENTARIUS GENERALIS
真に純粋にピアノ演奏技法の技術のみを研究する人は少ない。また、単に少ないだけではなく頻繁に批判の対象とされる。
技巧といっても当然様々であるが、ピアノ曲を難しく編曲せよといわれれば大概想像されるのは「音を足す」「テンポを上げる」であって貧相極まりない。その結果、音量は上昇することが想定されがちである。
私が研究しているのはそのような表面的な技巧ではない。真に構造的に豊かな音型は「音を抜く」「テンポを落とす」ことによっても非自明かつ圧倒的な技術的困難さを生み出す。また、そのとき音楽の外見は一般の予想とは異なり静かな様相を提示する。具体例としては、やはり私が極めて感銘を受けたLeopold Godowskyの緻密な技法を挙げねばならないだろう。
要は、わかる人だけがわかる、そういうものが私は大好きなので。
私が研究する技巧について素直に言っておくと:人間に弾かせるつもりではあるが、私以外の誰かに弾かせるつもりはない。(従って、明らかに人間の演奏に適さない曲は研究の対象外である。e.g. Circus Galop - Marc-André Hamelin)
しかしもし(!)、読者がそんな代物に興味があるなら私はその読者と一緒にピアノを学びたいと思う。マイノリティーではあるが、そういう人は存在すると思うし、そういう人の存在は仮令僅かでも、その他の殆どの人の凡庸な仕事の合併を容易に凌駕する。
長い目線では、確実に演奏技法が拡張され続けている現代のピアノ界の将来に対する「基礎研究」であると思っている。目を疑うような技術は今後必ず現れる。
注意:筆者は一般的に演奏される曲が演奏容易とは言っていない(!)。よく言われる「Lisztを適当に弾きふるうより、Mozartを丁寧に弾く方が難しい、そんなこともわからないのか?」などとという文句は自明に愚問なのであって、単にここではそのようなことは議論していないというだけである。私はそのような難しさより、構造的な難しさに興味がある。